2010年05月27日
河上昌実「京都イタリア研究会」生みの親
京都にまだイタリア料理の風が吹いていなかった時代、数人の料理人んgイタリアに渡った。
「フクムラ」をはじめ、やがて京都にイタリアンの風が吹き始めた。「タントタント」の河上昌実の呼びかけにイタリア帰りのシェフを中心に、店舗を超えた勉強会が開かれた。当時「イルパッパラルド」のシェフだった笹島シェフ(現在の「イルギオットーネ」オーナーシェフ)をはじめ、続々とエネルギッシュな料理人が集った。フレンチの「ベルクール」の松井シェフもオブザーバー参加。
やがて「イタメシブーム」が起こり、本物志向+京都らしい独創性の追及。更に町屋ブームなどの次々と京都に新しい風が吹き続けた。その常に先頭を走ってきた、京都イタリアンの旗振り役は、いつも「タントタント」の河上シェフだった。今は、笹島シェフにバトンタッチし、自らのワイナリーなどその活動の輪を、より深めている。
http://kyoto-itaken.com/restaurant/nakagyo10.html
http://www.tantotanto.net/index.html
「フクムラ」をはじめ、やがて京都にイタリアンの風が吹き始めた。「タントタント」の河上昌実の呼びかけにイタリア帰りのシェフを中心に、店舗を超えた勉強会が開かれた。当時「イルパッパラルド」のシェフだった笹島シェフ(現在の「イルギオットーネ」オーナーシェフ)をはじめ、続々とエネルギッシュな料理人が集った。フレンチの「ベルクール」の松井シェフもオブザーバー参加。
やがて「イタメシブーム」が起こり、本物志向+京都らしい独創性の追及。更に町屋ブームなどの次々と京都に新しい風が吹き続けた。その常に先頭を走ってきた、京都イタリアンの旗振り役は、いつも「タントタント」の河上シェフだった。今は、笹島シェフにバトンタッチし、自らのワイナリーなどその活動の輪を、より深めている。
http://kyoto-itaken.com/restaurant/nakagyo10.html
http://www.tantotanto.net/index.html
Posted by コモンミールKYOTO at 22:51│Comments(0)
│レストラン創業者